円錐角膜との出会いと20年の付き合い

isyoku 角膜移植

今は移植手術を終えて少し落ち着いてきたので、改めて僕が円錐角膜との出会いと付き合いを思い出そうと思います。

はじめて円錐角膜と知ったとき

大学1年の春だったと思います。僕は大学受験の休憩の合間に本屋さんに行って「大学行ったら免許とれるのかー。兄はすごい車が好きだけど、どこにそんな魅力を感じるんだろう」とパラパラ雑誌をめくっていました。
でも車にはいっこうに興味がわかなくて、ふと横を見るとバイク雑誌が。試しにめくってみると衝撃のバイクがそこにいました。ホンダNSR-250。このバイクを見たときの衝撃はすごかったです。「僕はバイクに乗りたい!」と考え、大学入ってすぐにバイクサークルに入り早速免許の取得に行きました。そんな中視力検査があったんだと思います。今から約22年前の話です。

当時の記憶は断片的ですべてを覚えているわけではありませんが、たぶん近所の眼科では検査しきれなかったんでしょう。当時住んでいた大阪の大きな病院(堺市)の病院を紹介されました。その時はなぜだったか親もいたような気がします。そこでいろいろ診察してもらった結果、「円錐角膜です。根本的な治療方法はなく、ハードコンタクトで抑えて進行を防ぐぐらいしかできません。移植もかなり順番待ちです」といった説明を受けました。
当時は「そうなんやー。あんまり視界は変わらないけどな」と、そこまで気にしていませんでした。というよりよく理解できていなかった(頭悪いので…)んだと思います。

それからは円錐角膜専用のハードコンタクトを作成し、基本的には毎日ちゃんとつけていました。
ただ如何せんハードコンタクトは異物感がすごく、すぐにころころした異物感を感じるし、なかなか長時間装着するのはしんどかったです。そのうちお出かけするときだけになってしまい、普段家にいる時や家の中では眼鏡を多用するようになり、定期的に診察に行った時も特に進行はしていなかったので、
「あ、メガネのままでもいいのかな」と考えて楽なメガネを多用するようになっていました。

当時の移植についての印象

当時移植しか治す方法はないと言われたときは、それなりにはショックでしたが、「そこまで生活に支障はないし」と思っていたので、目の前が真っ暗、というわけでもなかったです。だって自分が見えている世界=通常の世界だとしかわからないんです。
円錐角膜が分かったときはまだ90年代後半でした。

まだ10代だった僕はニュースも見ていなかったし、おそらく今以上に角膜移植のハードルは
高かったと思います(間違っていたらごめんなさい)

なので「移植=内臓の臓器移植」という考えが僕の中に強くあって、「移殖なんて大ごとだな。
きっと費用もウン千万するんじゃないか。それこそニュースで時々やってる海外で移殖手術を受けさせるために街頭で募金に立つぐらいの費用がかかるんじゃないか」って思っていました。
それなら今のままでも別にいっか。と本当に深く考えていませんでした。

自分の中での生活の変化

実際自分の中での生活の変化も特に感じられませんでした。20代~30代前半は特に。
30歳前後は妻と出会い、結婚もしたので目が見えづらいというより、ある意味幸せで盲目になっていたのかもしれません。
バイクは一人目の子供が生まれる35歳ぐらいまで乗っていましたが、特に不便は感じることなく通常の生活が送れていましたし、車の運転も同様。本当に不便は感じていませんでした。

違和感を感じた生活

ところが徐々に違和感を感じるようになりました。
妻が裸眼で生活できるほど目は昔から良いらしく、その関係で僕が目が見えていないことが余計際立ったのかもしれません。主に違和感を感じたのは以下の通りです。

1.お酌をするときにこぼす。
2.蚊をやっつけられない。(全く関係のない場所を叩く)
3.子供のミルクの分量を「線の場所」まで入れることができない。
4.会社の健康診断で行った眼の検査で、検査画面が全く見えない(Cの記号すら全く見えない)
5.階段によくつまづく。そして親指の爪をはがすというけがをしてしまう。
6.特に朝はまぶしくて目をあけてられない。

1のお酌は会社の飲み会などで頻発しました。その時は「あれー酔っぱらってるのかなー」といった具合に僕も相手も笑って済ませていましたが見えていなかったんだと思います。

2は、妻から「全然違うところ叩いてるで」と言われ、3の分量もきちんと入れられないのでこれまた妻から指摘。花火をしてもローソクの炎に花火の先を持っていくことができず、いつまでたっても火がつきません。

4以降はいよいよ深刻になりました。
まず僕は何回か転職をしているのですが、今いる会社の健康診断で目の検査をしたとき、視力検査の印を機械をのぞき込んで行うタイプだったため、「またどれもぼやけてて計測不能になるんだろうなー」って思っていたんですが、左目でのぞきこんでも「ぼやけて見えるどころか全く何も画面に表示されていないんです」思わず看護師さんに「何も表示されていませんよ?」と質問したところ、少し驚いたような顔で「いえ、きちんと表示はされているんですよ」とのこと。これには驚いたしショックでした。全く見えなかったんです。

5の階段のつまづきもひどく、家の何気ない段差を乗り越えることができず指をぶつけ、その結果親指の爪をはがす事態になりました。これは痛かったなー。もう情けなくなりました。

6ですが、うちは犬を飼ってるので朝晩散歩に行きます。基本的に僕が散歩に連れて行くのですが、特に休日の朝散歩に行ったり、娘と朝から公園で遊ぶ時にまぶしくて左目をあけてられません。
僕はサングラスを付けるのは好きではないのですが、我慢できずにレンズの前に磁石で装着できるタイプのサングラスを購入しました。特に運転中は前が見えないと危険極まりないので、車の中にいつも置いています。

子を持って思う当時の親の気持ち

話は少し遡りますが、円錐角膜と告知されたときと、普段僕が「左目がよく見えないんだー」と何気なく話してた言葉に対して親がいったいどういう気持ちでいたのか、今となっては少しわかるような気がします。
母は「今すぐでも、お母さんの角膜をあげることはできないのか」や、「おばあちゃんが亡くなったときに角膜をもらうことができないのか」など話してきたことがありました。
角膜の提供は心停止で行うことはできますが、逆を言えば生きている間は献眼できず、また人を指定して提供することも不可能なはずです。なので、母にはそれを伝えました。母はがっかりしたような感じでした。

僕も子を持つ親となった今、もし娘が同じような状況になったら、角膜はおろか心臓を提供することだって厭わないつもりです。
特に母親の場合、自分のおなかを痛めて産んだ子ですから、若干の罪の意識もあったのかもしれません。

そんなこと思わなくてもいいのに、もしかしたらそう思わせるような軽い発言を僕自身していたのかも
しれません。
親になった今反省するとともに、移植の前日に母に「おかんからもらった左の角膜とは明日さよならするね」と連絡しました。自分なりに母親からもらった体の一部(たとえ角膜という見た目薄い皮のようなもの)を交換することに対して今までいろんな景色を共に見てきたこと、一緒に成長してきたことへの感謝も込めたつもりです。

移植を決心した時

上記違和感を感じたことの4~6が自分の中でインパクトが強かったのもありますが、今は通勤に車が必須であることや、まだ子供が小さいので今後いろんなところで連れていってやりたいなと思うことも大きかったです。


幸い僕が今住んでいるのは政令指定都市で交通の便が良く、電車でどこへでも行けます。
自転車があれば日常生活は普通に生活できるし、電動自転車があれば、かなり足を伸ばせる便利な場所ですが、車を運転して子供を連れて海や山、観光地へ行って思い出を作ってあげたいと思いました。
このままだと次の免許取得ができないんじゃないかと本気で心配になりました。

移植後にやってみたいこと

多くは望むつもりはないんですが。。いくつか挙げてみます。

1.3Dを体験してみたい。
2.蚊をやっつけてみたい。
3.ソフトコンタクトをつけてみたい。
4.一生モノの眼鏡を作りたい。

1は3D映画を見に行ってみたいです。実は過去に見に行ったことがあるのですが、僕にはまったく3Dには見えず、2Dの映画そのものにしか見えませんでした。ほかの人はどんなふうに見えていたんだろうか。正解を知らないのです。たいして変わらなければ「なーんだ」で終わると思うのですが、移植した後はどうなっているのか。
あとディズニーランドのトイ・ストーリーのアトラクションなど3Dが体験できるものも行ってみたいです。
映画もそうですが、3D関係のものは妻も僕に遠慮しているのかあまり行こう行こうと言わないので気を使ってるのかもしれません。

2は、どうでもいい話ですがこの手で蚊を追いかけてやっつけてみたいです。
毎回逃げられて悔しい思いをしてるので。
でも手が汚れるからスプレータイプの殺虫剤使うかも(笑)

3はぜひやってみたいです。ソフトコンタクトはハードに比べてフィットしやすいと聞いたことがあります。
僕にコンタクトの選択肢は一切なく、円錐角膜用のハードコンタクト一択のみでした。すぐに異物感を感じてつけにくく、疲れやすいものでした。

また僕は趣味で水泳をしておりマスターズという大人向けの競泳大会にもたまに出たりします。昔選手をしていたこともあり、普段つけているゴーグルはレース用なのですが、レース用で且つ度があるタイプは種類が少なく、自分の好きな色のゴーグルができません。
なので、度を取るか色を取るかしかなく、僕は色を取るんですが、その代わり水の中では裸眼で一切見えません。
練習の時に時計を見ますが大きな針がぼやーっと見える程度です。ターンするときも長年練習で体が覚えた感覚で距離感を図ってます。ただそれでも距離を誤ることがあります。
そうならないためにも、ソフトコンタクトをつけて好きな色のゴーグルで、大好きな水の中を思いっきり泳いでみたいです。これが一番したいことかも。

4ですが、今までいくつか眼鏡を作ってきましたが、どれも最終的には左のレンズはほぼガラスの状態で「お飾り程度」の度しか入っていません。度をつけたって変わらないですからね。
移植して落ち着いてきたら眼鏡を作り直す必要があるらしく、その時には一生モノの眼鏡を作りたいです。

ドナーに対して思うこと

手術が終わった今、「いったいどんな方だったんだろう」とぼんやり考えます。
僕の左目にある角膜は人工的なものではなく、誰かの目に入っていたもの。それも遠い異国アメリカから届いたもの。そしてその方はすでにこの世にはいない。とても複雑な気分です。

僕には今後新しい光や世界、未来が待っています。家族との楽しい生活や子供の成長をこの目で見ることができます。でもその方はもういない。

病院側はドナーの情報は知っているそうですが患者に対して情報提供はできないそうです。
少し記事で調べた限りでは比較的同世代の方の角膜が提供されると読んだことがあります。
だとしたら直の事複雑ですし、大変ありがたく感謝しかありません。

その方が見るはずだった世界や風景を僕がしっかり見て、一緒に生きていきたいなって思います。
ご家族の方にも、「ここで一緒に元気に新しい世界を見ていますよ」と伝えることだけでもできたらいいのに、って時々思いますが、叶わぬ夢です。

今はIPS細胞で目の治療もどんどん研究されています。僕が円錐角膜を患った20年前と今では治療や医療技術も大幅に進歩していることでしょう。
今後、ますます進歩し、多くの方に光と素晴らしい未来が訪れることを願ってやみません。
その一助になればと思い、この記事を書いています。

ドナーの方へ。
そんな素晴らしい世界が訪れることを一緒に見つめていきましょう。
これからどうぞよろしくお願いします。

2020年8月

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かずけ

小さい間は手がかかるため、親として余裕が持てず可愛い場面に出会ってもなかなか記録に残せませんでした。 上の子が少し大きくなったのをきっかけに、さり気ない言葉や仕草を残していこうと思います。 詰めが甘いへっぽこブログですが、くすっと笑えて、ちょっぴり役に立ちそうな出来事を書いていきます。
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