学生時代から逃げてばかりの人生

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こんにちは。詰めの甘いかずけです。

誰も興味ないかもしれませんが、僕がいかにポンコツな人生を送ってきたのか。過去を思い出すことはあっても実際文字におこすのは初めて。人生も半分に差し掛かってきた今、振り返りもかねて書いていきたいと思います。

幼少から高校時代

兄が習っていたスイミングにいやいや連れて行かれて水泳を始める。本当に大っ嫌いでした。泣いたり仮病使ったりしてとにかくさぼっていました。

それがいつの間にか泳げるようになり、気が付いたら選手コースにいました(兄がいたからですが)

最終的に県大会で表彰台にあがれるくらいにはなりました、と書けば「全然ポンコツじゃないやん」と思われるかもしれませんが、当時ある程度記録が伸びたのは「センス」があっただけだと思います。だって練習量が圧倒的に他の選手に比べて少なかったんです。周りの選手は毎日2時間と人によっては朝練もしていた中、僕は毎日1時間だけ。しかも日曜日と火曜日は町営プールだったこともあって休み。これぐらいで他の選手と競ってました。

でも努力を重ねる周囲に勝てることはなく、常に弱気だった僕はしんどい練習から逃げたくていやいやだったので中学2年の記録をピークに伸び悩んだ結果、後輩の追い上げが怖くなり高校1年で逃げるようにやめてしまいました。全国大会には手が届きそうで届かず、逃げてしまったという後悔だけが残り、負け犬のポンコツ人生が本格的に幕をあげました。

(大人になった今は水泳が大好きで、のんびり泳いでます)

高校1年で水泳をやめてからは大きな目標もなくなったものの、水泳漬けの人生から解放されたこともあり、友達とぺちゃくちゃ喋ったり、好きな女の子の話をしたりと、それなりに楽しかったように思います。

勉強も良くできたほうではなかったですが、悪くはなかったです。(偏差値も55いくかいかないか)

英語は好きだったのでホームステイさせてもらったり受け入れたり、将来は英語を活かした道に進みたいなと漠然と考えていました。

大学進学は推薦で通った大学に早々に決めてしまい、受験は1回しかしていません。当時のセンター試験すら申し込みしていたのに受けませんでした。

自分の中では「もっと上位の学校を受けて不合格だったら」という不安もあって結局逃げたんです。自分では理解していました。

大学時代

大学はごくごく普通の大学の英文科に進みましたが、大学入ってびっくり。同級生の中には英語ペラペラの人がいたんです。そこまで偏差値の高い大学ではなかったのですが、やはり帰国子女なんかは格が違います。「こんな人たちに英語で勝負したって勝てっこない」と早々に白旗をあげてしまいました。

その後は、学校には普通に通っていたものの、中古で買ったバイクで1人フラフラ走りに行き、夜になってはテレホーダイ(若い子は知らないでしょ?当時定額でインターネットができた深夜の料金サービスです)で、夜な夜な今でいうLINEとよく似たチャットルームでおしゃべりしていました。懐かしい。

学校には比較的真面目に通っていたので単位は取得して当時激動の就職氷河期の中、なんとか一部上場のメーカーに就職が決まりました。

これは正直嬉しかったです。親孝行ができたなと。

大学の就職課から声をかけられて在校生の前で生意気に「就職活動とは根性だ!」みたいなことをマイク持って話をしたのを覚えています。 その後1年持たずに尻尾巻いて会社やめて実家に帰ることになろうとは知らず…。

【ご参考】僕が転職活動の際に何度も心が折れそうになっても、気持ちを支えてくれた本です。

「嫌われる勇気(本)」


嫌われる勇気 特装版 自己啓発の源流「アドラー」の教え

「嫌われる勇気(kindle)」


嫌われる勇気

「幸せになる勇気(本)」


幸せになる勇気 特装版 自己啓発の源流「アドラー」の教えII

「幸せになる勇気(kindle)」


幸せになる勇気

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)(kindle版)」


「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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かずけ

小さい間は手がかかるため、親として余裕が持てず可愛い場面に出会ってもなかなか記録に残せませんでした。 上の子が少し大きくなったのをきっかけに、さり気ない言葉や仕草を残していこうと思います。 詰めが甘いへっぽこブログですが、くすっと笑えて、ちょっぴり役に立ちそうな出来事を書いていきます。
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